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香港と北京の関係

2014年の全人代が終了。

 

香港の話題はあまり上がらなかった2014年の全人代ですが、李首相が香港について述べている部分が、香港英字新聞South China Postに掲載されています。
South China Postの記事はこちらから

 

中央政府としては、香港が反映するためには何でもする用意がある、とのことですが、昨年に比べて中央の香港の発言が減った、など色々言われています。

 

香港はその歴史的な背景から、日本の方々にはなかなかわかりずらいポジションでもあります。
1国二制度、といわれる部分ですが少し解説してみます。


近代的な北京の街並みと高層ビル乱立の香港

 

中国の一部でありながら、香港基本法(ミニ憲法といわれています)に乗っ取り、外交・軍事等を除く部分において、高度な自治が認められている、という点。WTOやAPECの会議にも、香港特別行政区として出席したり、オリンピックで香港として出られる理由はここに因るとなっています。また、同じ中国でもお隣の深センに行く場合、国境もあり、税関も中国本土と香港では異なっています。

 

また、香港人のパスポートは見た目、中国のものとぱっと見た目の印象は変わりありませんが、ビザなしで訪問できる国の数が圧倒的に異なります。本土の人にとっての香港のパスポートは本土のものとまったく異なるように映るようです。

 

議会の選挙については、現在行われていますが、こういった民主的な選挙で議会の議員さんなど選ばれるようになったのは、なんと1997年以降。つまり、中国に返還されたあとです。

 

妙な話なのですが、民主的な議会選挙は、イギリスからではなく(返還の過程で決められたこととはいえ)、一党独裁の中国共産党から香港に許可されたものだ、ということ。植民地時代、イギリス政府は香港に民主的な考えというか、そのような制度を認めたことはなかった、ということ。あくまでの司法などの分野においてはイギリスの慣習法がそのまま使われることになりましたが、当時のイギリスには香港に民主主義を根付かせる、なんていう大義はなかった、ということです。議会制民主主義の生まれたイギリス、香港の民主化には興味がなかったようですね。議会のニュースなど見ていると、いろんな手を使って妨害工作などをする民主派の人がいたり、どんな提案にでも反対しかしない議員さんがいるなど、独自色が濃いように思います。

 

色々な上記の過程があるわけですが、北京としても香港の金融都市・自由貿易港の利点を最大に利用して、域内の産業を大きく、ということはもちろん織り込み済みです。一方、香港をベースにする企業は、やはり中国の経済の巨大化とともに、その利益を取り込む、ということで本土の進出を加速させました。上海のインフラ事業などでは、多くの香港企業が活躍したことは有名ですね。このあたりが香港人のしたたかなところですね。

 

香港の発展は、本土との関係性によるところが大きいのですが、一般の人々の中にはそれに対して反発する人々も多くいるのも事実です。
着かず離れず、何とも不思議な両者の関係ですが、今後も色々な事象で、着かず離れずの状態で関係性が持続していくのでは、と思います。

 

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2014年3月14日